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17-octobre-2017 up, mojico - おしらせnew

お知らせnew

ランボー・イリュミナスィオンのサイト更新について
現在、今までの邦訳・解読を見直しています。
これまで、邦訳をリアルタイムに更新してきましたが、
作業量が多く、更新作業が間に合わなくなりました。
この度、いったん更新を中断することにいたしましたので、お知らせいたします。
2017年10月17日


ノアの大洪水の後

 ノアの大洪水が、また起るという予感が鎮まったとたん、
 臆病者の野ウサギは、イワオウギと揺れている釣鐘草の中で立ち止まり、クモの巣越しに、虹に祈った。
 おお! 宝石たちが消えていく、― 花たちは見守っていたのに。
 汚ない大通りには、屋台店が立ち並び、みんなは、版画で見るように、天まで段々と昇る海の彼方に、小舟を曳いていった。
 血が流れた。「青ヒゲ」の家で、屠殺場で、円形闘技場で。そこの窓は、神の印に青ざめた。血と乳が流れた。
 働き者のビーバーがダムを作った。「マザグランコーヒー」はカフェ・バーで湯気を立てた。
 まだ水の滴るガラス張りの大きな建物の中で、喪服を着た子供たちが驚くべき奇蹟を描いた絵を見つめていた。
 戸がバタンと鳴って閉り、村の広場では、あられ混じりのとどろくように激しいにわか雨の中で、見渡すかぎりの風見や鐘つき塔の雄鶏も一緒になって、あの子が腕を振り回した。
 マダム*** がアルプスの山奥にピアノを据えた。ミサと初聖体の儀式が大聖堂のおびただしい祭壇で厳かにとりおこなわれた。
 キャラバン隊が出発した。そして「豪華ホテル」が、吹き荒れる極地の夜と氷の中に建てられた。
 そのとき以来、「月」はタイムの香る荒れ野の中で、ジャッカルが哀しく吠えるのを聞いた、 ― 木靴をはいた牧人たちが、果樹園の中でぶつぶつ呟くのも聞いた。それから、芽吹いたすみれ色の森の中で、ユーカリスがぼくに、春が来たと教えてくれた。
 ― 池よ、溢れろ、 ― 泡立て、橋も林も押し流せ、 ― 黒い布と大オルガンよ、 ― 稲光と雷鳴よ、 ― 沸き出し渦巻け、 ― 水と悲しみよ、溢れ出て、また「大洪水」を引き起こせ。
 なぜなら、大洪水が引いてからは、宝石は隠れたまま、花は開ききったままだ! ― ああ、うんざりだ! これでは土の壷に火種を起こしている「女王」、あの「魔女」は、彼女は知っていて、ぼくたちは知らないことを、決して語ってくれないだろう。

アルチュール・ランボー『イリュミナスィオン』より
翻訳更新:2017年7月5日 Parolemerde 2001

 

アルベール・カミュ著 『異邦人』末尾に対する考察new

Camus 原文:
Comme si cette grande colère m'avait purgé du mal, vidé d'espoir, devant cette nuit chargée de signes et d'étoiles, je m'ouvrais pour la premiére fois à la tendre indiférrance du monde. De l'éprouver si pareil à moi, si fraternel enfin, j'ai senti que j'avais été heureux, et que je l'etais encore. Pour que tout soit comsommé, pour que je me sente moins seul, il me restait à shouhaiter qu'il y ait beacoup de spectateurs le jour de mon exécution et qu'ils m'acueillent avec des cris de haine.

門司訳:

この大きな怒りが、ぼくをあの悪行から清めてくれ、希望を空にしたかのように、予兆と星々に満ちたこの夜を前にし、ぼくは初めて、世間の暖かい連れなさに目覚めた。あの暖かい連れなさは、ぼくにそっくり、つまり、ぼくの仲間だと感じた、ぼくは幸せだった、今までも、と気付いた。ぼくに残された望みは、全てが完遂されるために、ぼくがより孤独を感じないために、処刑の日にたくさんの見物人が来て、憎悪の叫びでぼくを迎えることだった。

窪田訳:

あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、この「しるし」と星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。
✽「」は、傍点の付いた言葉です。ぼくの持っている学生時代に買ったペーパーバックの本では、何も付いていないし、イタリックにもなっていません?

翻訳考察
✽ 文中引用のフランス語の訳は、無表記が門司訳で、窪田訳の場合は「窪田訳」と付記する。

一番の相違点は、世間の暖かい連れなさ la tendre indiférrance du monde の解釈と、次の行頭の ~を感じる De l'éprouver で、動詞 感じる éprouver の目的語、代名詞 le が何を指すか、ここに、二者の読みの大きな違いがある。

窪田は 直前の名詞を、世界 le monde と取っている。門司は、代名詞 le が指す言葉(名詞)は la tendre indiférrance であると読んだ。窪田訳の「世界の du monde 」について、du は de le からなり、de le monde となる。窪田は、定冠詞 le のついた名詞 le monde を、 éprouver の目的語とした。しかし、門司は、ここの du monde は、前の名詞の説明として、世の中の・世間の・世界の、という形容詞的慣用句として使われていると考えた。
また、「世間の暖かい連れなさ la tendre indiférrance 」の tendre は、親しさ・優しさ・暖かみを表し、indiférrance は、無関心・よそよそしさ・冷たさを表している。カミュは、一般的には相反する印象を与える二つの言葉を意図的に並列し、強調している。ぼくは、カミュが『異邦人』で描いた、ムルソーに身近な人々のエピソード、例えばサラマノ老人と彼の犬とか、あるいは、ムルソーと養老院のママンの関係とか、を思いだす。ここで、カミュは、実生活の中の思想、つまり哲学的・言語的(上部構造)ではない思想を、読者に提示していると考え、門司は、それを活かす訳を試みた。

2017年9月5日 Parolemerde 2001

 
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ELLE et IL

 19世紀フランスの詩人、アルチュール・ランボーの「永別 Adieu」には、グローバルな支配者としてElleが登場した。フランス語のelleは、日本語では「彼女」にあたるが、同時に女性名詞の代名詞でもある。フランス語のilは、日本語では「彼」にあたるが、同時に男性名詞の代名詞でもある。
 ランボーの詩には、幾つもの正体不明なelleが出てくる。ぼくは、『イリュミナスィオン』中の、「H」のオルタンスHortenseと「祈り Dévotions」のシルセトCircetoも、「永別 Adieu」および「苦悩 Angoisse」のelleの異名と読んでいる。
 elle に対し、彼にあたるilは、『地獄での一季節』には、出てこない。出て来るのは、そのタイトルにふさわしく「地獄の扉を開けた、その人のあの子供 le fils de l'homme 」である。ランボーは異教徒になりすまし、「人の子イエス Fils de l'homme」を大文字のついた固有名詞から定冠詞のついた普通名詞に書き換えている。『イリュミナスィオン』中では、ただひとつil=「魔神 Génie」の詩が存在する。Génie は、精霊と言う意味だが、日本語では、聖霊と意味を取り違えられやすい。異教徒ランボーは、『地獄での一季節』中で「聖霊 Esprit Saint」ではなく「あの精霊 l'Esprit」という表現を使用している。ぼくは、このilは、異教の神という意味で「魔神」と訳した。
 神の代理人を装った「あの女」には、アルチュールを十字架のついた墓に埋葬した、信心深い王党派の母ヴィタリーの反映を見て取る事も可能だろう。同時に、この「魔神」に、優秀な軍人で、コーランのフランス語訳もした、ほとんど家庭に寄り付かなかった、父フレデリックの反映を見る事ができる。おまけに、アルチュールの兄、父と同名のフレデリックが御者の仕事に付いた時は、母ヴイタリーは、彼を門前払いにしたと伝記に記されている。

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魔神

 泡立つ冬にも、ざわめく夏にも、あの家を開け放ったのだから、彼は愛情と現在だ。飲物と食物を清めたのは彼だ。過ぎ去りゆく場所の魅惑と、立ち止まる場所の超人的な歓びが彼だ。彼は愛と力、愛情と未来、おれたちは怒りと倦怠の中に立ちながら、嵐の空と恍惚にはためく旗々の中を通り過ぎるのを迎えるのだ。
 彼は愛、新たに創り出された完璧な尺度、驚くべき思いもよらぬ思想、永遠なのだ。彼は運命の力により愛される機械だ。おれたちはみな、彼の譲歩とおれたちの譲歩を恐れた。おお、おれたちの健康の享受、おれたちの能力の飛躍、彼への利己的な愛情と熱狂。彼こそは己の無限の命のためにおれたちを愛するのだ…。
 おれたちが彼を思い出せば、彼は彼方からやってくる…。もし「崇拝」が去りゆけば、彼の約束が鳴り響くのだ。「退け、この迷信、この古い体、この世帯とこの年代。この時代はすでに滅びたのだ!」
 彼は天に昇ったりはしないのだ、天から再臨しもしないのだ。女たちの怒りと男たちの馬鹿騒ぎとあらゆる罪人の贖罪を成就したりもしないのだ。彼がいて、彼が愛されれば、そのことは、もうなされたのだから。
 おお、彼の息吹、彼の頭脳、彼の走り。形と動きの完成の恐るべき速度。
 おお、精神の豊かさと宇宙の広大さ!
 彼の体! 夢見られた解放、新しい暴力に交差された恩寵の破壊!
 彼の眼差し、彼の眼差し! 眼差しに続き「再起した」昔の屈従と苦痛のすべて。
 彼の日! もがきうめくあらゆる苦しみの最も激しい音楽の中での廃止。
 彼の歩み! 昔の侵略よりさらに巨大な移動。
 おお、彼とおれたち! 失われた愛よりもさらに好意に満ちた奢り。
 おお、この世! そして新しい不幸の清らかな歌!
 彼はおれたちみんなを知り、おれたちみんなを愛した。この冬の夜、岬から岬へ、吹き荒れる極地から城へ、群衆から浜辺へ、眼差しから眼差しへ、力と感情は疲れ果てても、彼を呼び、彼に会い、彼を送り返そう。そして、潮の下にも雪の荒野の頂にも、彼の眼差しを、彼の息吹を、彼の体を、彼の日を追い求めていこう。

――――――――――

 昇天し、再臨し、「神の子」を証明したキリストは、ここには存在しない。ランボーの予感した、この新しいメシア像は、1872年末から1873年初めに、雪の故郷で書かれたと推測している。「あの家」は、ゴシック様式の教会のことだろう。だが、当時のカトリック信徒にも、新しいキリストの希求があった。ランボーのこの詩が、彼個人を超えた時代の要求も映し出していたと思うようになった。ランボーと同時代、普仏戦争とパリ・コミューンという悲惨な体験をした人々の心の救済の為、全てを民間の浄財で賄い、脆弱な地盤の上に、40年もの歳月をかけて建立されたパリ、モンマルトルの丘の上に立つサクレクール教会 Sacré-Cœur(聖心・御心)のドームに描かれた壁画を見た時に。

image of Sacré-Cœur Outsideimage of Sacré-Cœur Inside

(画像クリックで別ウィンドウ拡大表示します)

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 時は流れて、現代、第二次世界大戦後70年以上続いた、米英+イスラエル+日欧:軍産・メディア・金融支配体制が、ひとつの大きな転機を迎えている。今日は、アメリカ合州国第45代、トランプ大統領就任の日だ。トランプ支持とヒラリー支持の、州別・男女別地図では、くっきりした男女差が示された。なお、France2でこの地図を見てから、3日後(日本時間4日後)に、日本のメディアでやっと見る事ができた。
 トランプ氏は、メディアという変声装置を通さないで、Twitterで政見を発信して来た。ランボーは、詩人になる前に、新聞記者になることを考えていた。プロイセンのビスマルクを皮肉った詩等を地元の共和派系の新聞に送ったが、記事は採用されなかったと伝記に記されている。ぼくには、ランボーの「魔神」には、教会を介さない個と全体、個と精霊のコミュニケーションを表しているように感じる。あの時代には、すでに電報が発明されていたので、ランボーが通信からインスピレーションを得たとしても不思議はない。
 妻の仕事上の知合いのアメリカ女性は、選挙戦中は、トランプ氏を下品としていたが、当選後は、傲慢な彼がどのような仕事をするのか見守りたいと言っている。

20170120, Parolemerde2001

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■ Adieu の Elleについての補足説明。
『地獄での一季節(地獄の季節)』末尾の章「永別(別れ)」で、 Elle が文頭となっている箇所について:
「これでは、いずれは審判を受けるべき数知れぬ魂と亡骸に君臨する女王、死体を貪るこの雌鬼、この女が食い終えることはあり得ない。」
《Elle ne finira donc point cette goule reine de millions d'âmes et de corps morts et qui seront jugés !》
・英語訳(Wallace Fowlie)
She will never be done, then, that ghoul queen of a million souls and dead bodies, and which will be judged !”
・原文直訳:
「彼女は、従って、絶対に止めないだろう、この女食屍鬼を、死んだ100万の魂と肉体の女王、そして、それらは捌かれるだろう!」
 女食屍鬼 goule と女王 reine の間には、ヴィルギュール(コンマ)無しだが、同格と読んでいる。「そして、それらは捌かれるだろう!」の部分は、原詩ではイタリックになっている。
・参考資料 小林秀雄訳(傍点省略・旧字体は新字体に修正):
さてこそ、遂には審かれねばならぬ幾百萬の魂と死屍とを啖ふこの女王蝙蝠の死ぬ時はないだらう。

■ 『イリュミナスィオン』 の 「魔神 Gnéie」 と『地獄での一季節』
ランボーが「魔神」で描いた、来るべきメシアは、『地獄での一季節』の中でも、「永別」の前の「朝 Matin」に語られている。このことからも、「魔神」が『地獄での一季節』の前に書かれた詩と推定できる。さらに、この「朝」は、ヴェルレーヌにピストルで撃たれる前に、『地獄での一季節』あるいは「異教徒の本」・「黒人の本」の締めくくりとして用意されていた章ではないかと推測する。
「・・・だが、今では、おれは地獄の体験談を終わらせたと信じている。あれは正に地獄だった、例の「人の子」が扉を開けた、古のあの地獄だった。
 命の「王たち」、心と魂と精神という、三人の予言者は感激しなくても、常に、変わらぬ荒れ野の中から、変わらぬ夜を望んで、おれの疲れた目はあの銀の星を見つめて、常に目覚めている。新しい労働の誕生を、新しい英知を、圧政者と悪魔の退散を、迷信の終焉を迎えに、 ― 最初の人々として! ― この世に「メシアが産まれる日」を崇めに、砂浜と山々を越えて、おれたちが行くのはいつなのか!
 天の歌、民の歩み! 奴隷どもよ、人生を呪うのは止めよう。」

 

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   五月の軍旗

         アルチュール・ランボー

リンデンの、輝く若葉に
病的な勝鬨が死んでゆく。
だが、精神のシャンソンは
スグリの茂みで旗めく。
我らが血よ、血管中で笑ってくれ、
そら、ブドウの蔓も絡み合う。
空は天使のように澄んでいる
青空と波は、心をひとつに。
ぼくは行くぞ。もしも光に傷つけば
苔の上で死ぬだろう。

辛抱するのも、うんざりするのも
たやすいことだ。苦労はやだやだ。
ドラマの夏の、幸運の車輪に、
ぼくは縛り付けられたい。
おまえにしっかり抱かれて、おお、自然よ、
― 孤独でもなく、虚しくもなく ! ― ぼくは死ぬ。
でも、おかしなことだが、「羊飼いたち」は、
世間の手に落ち、死ぬばかり。

季節が、ぼくを、すり減らして欲しいんだ。
自然よ、おまえの下に、ぼくは帰る。
飢えを、満たしてくれないか、
渇きも、潤してはくれないか。
ぼくには、夢も幻も、何もない、
太陽に笑うことは、両親に笑うことだ、
だが、ぼくは、誰にも笑いたくない、
そして、自由とは、この不運のことだろう。

                    1872年5月

翻訳:20170502, Parolemerde2001

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『異邦人』(アルベール・カミュ著)より

 気になっていたカミュの『異邦人』の終り近くのごく一部分を訳してみた。刑務所付きの司祭に対する、主人公ムルソーの反駁の言葉なのだが、すでに老人となったぼくには、より身近に感じられるようになった。

「・・・おれはと言えば、両手は空っぽのようだ。だが、おれはずっと自信を持って、全てを信じて来た、あんたよりもしっかりと、おれの人生と迫り来る死についても。そうさ、おれにはこれしか無い。だが、少なくとも、この真実がおれを捕まえている限り、おれもこの真実を捕まえている。おれは正しかったし、今も正しい、いつでも正しい。おれはこんな風に生きて来たが、もっと他の生き方もできたかもしれない。おれはこれをしたが、あれはしなかった。こんなことはしたが、あんなことはしなかった。それで? おれは、おれの正しさが証明される、あの瞬間、あの束の間の夜明けをずっと待っていたかのようだ。何ものも、何ものも重要ではなかったし、その訳もおれは知っている。あんただってそれを知っている。おれが従ってきた無意味な人生の間じゅう、おれの未来の底から、まだ訪れない年月を横切り暗い息吹が遡って来て、その息吹の通り道にある、おれが生きてきたほどには、はっきりしない年月の中に差し出される全ての物を、等しくしてしまうのだ。他人の死も、母の愛も、おれにはどうでも良い、あんたの神も、人の決める生活も、人の選ぶ将来も、おれにはどうでも良い、唯一の運命が、おれ自身をも、おれを兄弟と呼ぶ、あんたのような多数の特権者をも、おれと共に選んでいるからだ。・・・」

2016年1月20日、Parolemerde2001

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■ロートレアモン伯爵著 『マルドロールの歌』 第1の歌 第5節
  (2014年12月16日)

 おれは見てきた、わが生涯を通じて、たった一人の例外もなく、肩身の狭い人間どもが、たくさんの愚かな行いをすることを、同類を愚かにし、あらゆる手段で魂を堕落させるのを。奴らは己の行為の動機をこう呼ぶ、栄光と。この有様を見て、おれは他の奴らと同じように笑おうと思った。だが、この奇妙な真似は不可能だった。おれは良く切れる刃の付いたジャックナイフを手に取り、唇の合わさっている処の己の肉を切り裂いた。一瞬、目的は達せられたと思った。おれは鏡の中を覗き込んで、己の意志で傷つけたこの口を見つめた! 間違いだった! しかも二つの傷口から大量に流れ出る血が、他の奴らの笑いと本当に同じなのか見分けるのを妨げた。だが、少し見比べた後、おれの笑いは人類どもの笑いとは似ても似つかないことがよく分った、つまりおれは全く笑っていなかった。おれは見てきた、醜い頭と暗い眼窩の中に落ち窪んだ眼をした人間どもは、岩よりも硬く、鋳鉄よりも強固で、サメよりも残忍で、若者よりも横柄で、犯罪者よりも激高し、偽善者よりも背信で、この上なく奇妙な道化役者で、神父のように強情で、外見には何も表さず、地でも天でも最も冷たい存在をも凌ぐのを。奴らはモラリストたちが己の心を明るみにだすのをうんざりさせ、彼らの上に天から容赦ない怒りを落とさせる。おれは見てきた、ある時は、奴らが一斉に、母親に抗うすでに邪悪な子供の拳のように、おそらく地獄の悪霊にでも駆り立てられ、この上なくたくましい拳を天に向け、氷れる沈黙の中、眼には痛ましい悔恨とともに憎悪が溢れ、不正と恐怖に満ちた胸に秘めた忘恩の茫洋たる瞑想を、勇気を持って口に出すことも無く、慈悲の神を憐憫の情で悲しませるのを。ある時は、一日中、子供時代の初めから老年時代の終わりまで、生きとし生ける全てのものに逆らい、己にも逆らい、神の摂理にも逆らい、非常識な信じがたい呪いを撒き散らしながら、女子供には売淫させ、恥じらいに捧げられた身体の部分を辱めさせる。その時、大海原は海水を持ち上げ、深海の底に板子を飲み込む。嵐が、地震が家々をなぎ倒す。ペストが、様々な疫病が祈る家族を皆殺しにする。だが、人間どもはそれに気付かない。おれは奴らがこの地上での振舞いに顔を赤らめたり、青ざめたりするのを見るには見てきたが、ほとんどなかった。嵐よ、竜巻の姉妹よ。おれはその美を認めないが、蒼い天よ。偽善者の海よ、おれの心の似姿よ。謎を秘めた大地よ。星々の住人よ。全宇宙よ。全宇宙を壮麗に創りし神よ、おれが嘆願するのはおまえしかいない。善良なる人間を誰かひとり、このおれに見せてくれ! ・・・・・・いや、それより、おまえの恩寵でおれの生まれながらの力を10倍にしてくれ。この化け物を目の当たりにしていると、おれは驚愕のあまり死にそうだ。そうでなくても人は死ぬんだ。

訳:2013, Parolemerde2001

----------- End -----------