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闘病レポート - #003 20190512掲載

退院したが、きちんと治った訳ではない。特に足は下リハの歩行訓練では、一応、200m程は歩けたはずだったのだが、下が砂利などの場合は、右足が吸い付いたように動かなかった。

そんな状態で、まずは三か月、新小文字病院でリハビリの治療を受けた。家から車で10分程の距離だが、市子に車で送り迎えしてもらった。病院内の移動は車椅子だった。下リハで最後に使った車椅子は、なぜか漕いで重たく、右手がつっばる原因となったようだが、新小文字病院の車椅子は比較的良かったようだ。新年を迎えて、週3回の訪問リハビリとなった。始めは、週一回はリハビリステーションに行く予定だったが、耳から血が出て、被爆症状の可能性も有った。また、血小板の作用を抑える薬や筋肉を弛緩させる薬の影響かも知れない。市子が薬を続けていると暗くなって嫌だと言い、効果が見られないようなので止めている。病院内も、杖をついて何とか歩けるようになった。今はそんな所だ。

家に帰ってから、半年以上、精神的に不安定だった。市子とも、何回か喧嘩をした。ぼくは頭はあまりやられていないので、自分が病気になる以前の感覚であれこれやることを思いつくのだが、実際に作業する市子の方は、既に手一杯な状態だったり、それ以前にやらなくてはならないことがあったりする。考えれば、当たり前のことでも、病人には難しかった。

今は、比較的安定している。病気が再発する可能性も比較的遠のいたし、耳の出血も収まり、病状も安定している。それでも、リハビリの効果は少しずつだし、お金のことも考えなくてはならない。

2019年5月12日
Parolemerde2001

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