闘病レポート - #002 20190509掲載
ぼくは、救急搬送された新小文字(しんこもんじ)病院で、病気が落着くと、一か月弱で下関リハビリテーション病院(通称:下リハ)に移った。何で移ったのか、今となっては分からないのだが・・・それが、一般的な流れだったとも。ここに三か月居た。
去年の異様な暑さのため、病院の定温環境に依存していた、と言った方が妥当だろう、一か月目は、まあ快適だった。二か月目は、室替えで同室になった人が、夜中に暴れたり、顔にスプレーを噴射したりするので、我慢出来なくなり、ケアマネージャーに言って室を変えてもらった。三か月目は室にPCを持って来たが、左手で操作するのが難しかった。これは今でも変わらない。足のリハビリ担当者が、ぼくの足に装具を付けさせようとしたが、ぼくの家の周辺は坂しか無く、しかも道が悪いので、断った。
もう、この病院で、三か月になり、ここの治療もそろそろ終わりにしなければならなかった。そして、ぼくは10月に退院した。酷い暑さも収まっていた。
病院は、食事は良かった。一度も残さなかった。トイレが、人数が多いので、どうしても混む時間帯があり、結局、便は3日に一度ぐらいだった。便秘の人は多いようだった。ぼくは、脈が早く、血圧も高めなので、血小板の作用を抑える薬と、血圧降下剤を二錠、新小文字病院の時から服用していたが、ここ下リハで、血圧か下がらないので、さらに血圧の薬を四錠プラスされた。退院後、新小文字病院で、追加分は余計だと言われたが・・・
2019年5月9日
Parolemerde2001