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闘病レポート - #001 20190423掲載

去年の6月、脳溢血で倒れた。今は右手・右足が不自由で、リハビリ中である。それまでに何度か「お知らせ」が有ったのだが、余程気を付けないと分からなかったろう。

最初のお知らせは、2011年6月に、ビッグサイトで行われた食品機械の展示会で、左半身が痺れたことだった。その日は予定を予めこなしていたので、目立たない所で1時間半ほど休み、その後、少し仕事をして帰った。その次の週に近くの病院でMRIを撮ってもらった。頭の血流が悪くなっているという診断であった。それ以降、2017年までは、何もなかった。

ぼくと市子は、当時、武蔵小金井の実家に居た。同居の義姉と相続争いをしていた。ぼくは、もともと血圧が高かったので、審判の所為だろうと思っていた。調停も入れると、1年以上になったその時に、フクイチが爆発した。

実家は、仙川沿いの低湿地にあった。風が強く、家の周りは砂埃が溜まっていた。おまけに、フクイチ後、計画停電の影響で、中央線を渡って30分程掛かるOKストアまで、歩いて買物に行っていた。ぼくたちは土地を売って出ることになった。ぼくが掃除をした。

その年の11月、ぼくたちは本家の家長の招きで、九州の八幡に出て来たが、彼は少し前に亡くなってしまった。翌年の2月、東京に出向き、相続争いは終わった。その後、福岡市に、その後、北九州市門司区に住んでいる。

2017年11月、ぼくは倒れたのだが、大したことは無いようなので、家の調停が問題かなと思った。2018年6月、炎天下での塀の作業・ペンキ塗りがたたったのか、ダウン。ここの経過は改めて書きたい。

病院を退院し、自宅で訪問看護を受けるようになった。週1日だけは、田野浦にあるリハビリテーション施設に通った。そこは瀬戸内海だ。ある日、右耳で何か破れる音がして、その後、右耳から血がでるようになった。原因は分からなかった。1か月以上経った今、血が止まった。

これらのことには、フクイチの放射能の影響があると思われる。被爆から7~8年後あとに、被爆の影響が出るが、詳しいことは分からない。

2019年4月23日
Parolemerde2001

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