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『異邦人』(アルベール・カミュ著)より

 気になっていたカミュの『異邦人』の終り近くのごく一部分を訳してみた。刑務所付きの司祭に対する、主人公ムルソーの反駁の言葉なのだが、すでに老人となったぼくには、より身近に感じられるようになった。

「・・・おれはと言えば、両手は空っぽのようだ。だが、おれはずっと自信を持って、全てを信じて来た、あんたよりもしっかりと、おれの人生と迫り来る死についても。そうさ、おれにはこれしか無い。だが、少なくとも、この真実がおれを捕まえている限り、おれもこの真実を捕まえている。おれは正しかったし、今も正しい、いつでも正しい。おれはこんな風に生きて来たが、もっと他の生き方もできたかもしれない。おれはこれをしたが、あれはしなかった。こんなことはしたが、あんなことはしなかった。それで? おれは、おれの正しさが証明される、あの瞬間、あの束の間の夜明けをずっと待っていたかのようだ。何ものも、何ものも重要ではなかったし、その訳もおれは知っている。あんただってそれを知っている。おれが従ってきた無意味な人生の間じゅう、おれの未来の底から、まだ訪れない年月を横切り暗い息吹が遡って来て、その息吹の通り道にある、おれが生きてきたほどには、はっきりしない年月の中に差し出される全ての物を、等しくしてしまうのだ。他人の死も、母の愛も、おれにはどうでも良い、あんたの神も、人の決める生活も、人の選ぶ将来も、おれにはどうでも良い、唯一の運命が、おれ自身をも、おれを兄弟と呼ぶ、あんたのような多数の特権者をも、おれと共に選んでいるからだ。・・・」

翻訳:門司 邦雄(Parolemerde 2001)
掲載:2016年1月20日

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