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ELLE et IL

 19世紀フランスの詩人、アルチュール・ランボーの「永別 Adieu」には、グローバルな支配者として Elle が登場した。フランス語の elle は、日本語では「彼女」にあたるが、同時に女性名詞の代名詞でもある。フランス語のilは、日本語では「彼」にあたるが、同時に男性名詞の代名詞でもある。
 ランボーの詩には、幾つもの正体不明なelleが出てくる。ぼくは、『イリュミナスィオン』中の、「H」のオルタンス Hortense と「祈り Dévotions」のシルセト Circeto も、「永別 Adieu」および「苦悩 Angoisse」の elle の異名と読んでいる。
 elle に対し、彼にあたる il は、『地獄での一季節』には、出てこない。出て来るのは、そのタイトルにふさわしく「地獄の扉を開けた、その人のあの子供 le fils de l'homme 」である。ランボーは異教徒になりすまし、「人の子イエス Fils de l'homme」を大文字のついた固有名詞から定冠詞のついた普通名詞に書き換えている。『イリュミナスィオン』中では、ただひとつ il=「魔神 Génie」の詩が存在する。Génie は、精霊と言う意味だが、日本語では、聖霊と意味を取り違えられやすい。異教徒ランボーは、『地獄での一季節』中で「聖霊 Esprit Saint」ではなく「あの精霊 l'Esprit」という表現を使用している。ぼくは、このilは、異教の神という意味で「魔神」と訳した。
 神の代理人を装った「あの女」には、アルチュールを十字架のついた墓に埋葬した、信心深い王党派の母ヴィタリーの反映を見て取る事も可能だろう。同時に、この「魔神」に、優秀な軍人で、コーランのフランス語訳もした、ほとんど家庭に寄り付かなかった、父フレデリックの反映を見る事ができる。おまけに、アルチュールの兄、父と同名のフレデリックが御者の仕事に付いた時は、母ヴイタリーは、彼を門前払いにしたと伝記に記されている。

魔神

 泡立つ冬にも、ざわめく夏にも、あの家を開け放ったのだから、彼は愛情と現在だ。飲物と食物を清めたのは彼だ。過ぎ去りゆく場所の魅惑と、立ち止まる場所の超人的な歓びが彼だ。彼は愛と力、愛情と未来、おれたちは怒りと倦怠の中に立ちながら、嵐の空と恍惚にはためく旗々の中を通り過ぎるのを迎えるのだ。
 彼は愛、新たに創り出された完璧な尺度、驚くべき思いもよらぬ思想、永遠なのだ。彼は運命の力により愛される機械だ。おれたちはみな、彼の譲歩とおれたちの譲歩を恐れた。おお、おれたちの健康の享受、おれたちの能力の飛躍、彼への利己的な愛情と熱狂。彼こそは己の無限の命のためにおれたちを愛するのだ…。
 おれたちが彼を思い出せば、彼は彼方からやってくる…。もし「崇拝」が去りゆけば、彼の約束が鳴り響くのだ。「退け、この迷信、この古い体、この世帯とこの年代。この時代はすでに滅びたのだ!」
 彼は天に昇ったりはしないのだ、天から再臨しもしないのだ。女たちの怒りと男たちの馬鹿騒ぎとあらゆる罪人の贖罪を成就したりもしないのだ。彼がいて、彼が愛されれば、そのことは、もうなされたのだから。
 おお、彼の息吹、彼の頭脳、彼の走り。形と動きの完成の恐るべき速度。
 おお、精神の豊かさと宇宙の広大さ!
 彼の体! 夢見られた解放、新しい暴力に交差された恩寵の破壊!
 彼の眼差し、彼の眼差し! 眼差しに続き「再起した」昔の屈従と苦痛のすべて。
 彼の日! もがきうめくあらゆる苦しみの最も激しい音楽の中での廃止。
 彼の歩み! 昔の侵略よりさらに巨大な移動。
 おお、彼とおれたち! 失われた愛よりもさらに好意に満ちた奢り。
 おお、この世! そして新しい不幸の清らかな歌!
 彼はおれたちみんなを知り、おれたちみんなを愛した。この冬の夜、岬から岬へ、吹き荒れる極地から城へ、群衆から浜辺へ、眼差しから眼差しへ、力と感情は疲れ果てても、彼を呼び、彼に会い、彼を送り返そう。そして、潮の下にも雪の荒野の頂にも、彼の眼差しを、彼の息吹を、彼の体を、彼の日を追い求めていこう。

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 昇天し、再臨し、「神の子」を証明したキリストは、ここには存在しない。ランボーの予感した、この新しいメシア像は、1872年末から1873年初めに、雪の故郷で書かれたと推測している。「あの家」は、ゴシック様式の教会のことだろう。だが、当時のカトリック信徒にも、新しいキリストの希求があった。ランボーのこの詩が、彼個人を超えた時代の要求も映し出していたと思うようになった。ランボーと同時代、普仏戦争とパリ・コミューンという悲惨な体験をした人々の心の救済の為、全てを民間の浄財で賄い、脆弱な地盤の上に、40年もの歳月をかけて建立されたパリ、モンマルトルの丘の上に立つサクレクール教会 Sacré-Cœur(聖心・御心)のドームに描かれた壁画を見た時に。

 時は流れて、現代、第二次世界大戦後70年以上続いた、米英+イスラエル+日欧:軍産・メディア・金融支配体制が、ひとつの大きな転機を迎えている。今日は、アメリカ合州国第45代、トランプ大統領就任の日だ。トランプ支持とヒラリー支持の、州別・男女別地図では、くっきりした男女差が示された。なお、France2 でこの地図を見てから、3日後(日本時間4日後)に、日本のメディアでやっと見る事ができた。
 トランプ氏は、メディアという変声装置を通さないで、Twitter で政見を発信して来た。ランボーは、詩人になる前に、新聞記者になることを考えていた。プロイセンのビスマルクを皮肉った詩等を地元の共和派系の新聞に送ったが、記事は採用されなかったと伝記に記されている。ぼくには、ランボーの「魔神」には、教会を介さない個と全体、個と精霊のコミュニケーションを表しているように感じる。あの時代には、すでに電報が発明されていたので、ランボーが通信からインスピレーションを得たとしても不思議はない。
 妻の仕事上の知合いのアメリカ女性は、選挙戦中は、トランプ氏を下品としていたが、当選後は、傲慢な彼がどのような仕事をするのか見守りたいと言っている。

Parolemerde2001
2017年1月20日

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■ Adieu の Elle についての補足説明。
『地獄での一季節(地獄の季節)』末尾の章「永別(別れ)」で、 Elle が文頭となっている箇所について:
「これでは、いずれは審判を受けるべき数知れぬ魂と亡骸に君臨する女王、死体を貪るこの雌鬼、この女が食い終えることはあり得ない。」
《Elle ne finira donc point cette goule reine de millions d'âmes et de corps morts et qui seront jugés !》
・英語訳(Wallace Fowlie)
She will never be done, then, that ghoul queen of a million souls and dead bodies, and which will be judged !”
・原文直訳:
「彼女は、従って、絶対に止めないだろう、この女食屍鬼を、死んだ100万の魂と肉体の女王、そして、それらは捌かれるだろう!」
 女食屍鬼 goule と女王 reine の間には、ヴィルギュール(コンマ)無しだが、同格と読んでいる。「そして、それらは捌かれるだろう!」の部分は、原詩ではイタリックになっている。
・参考資料 小林秀雄訳(傍点省略・旧字体は新字体に修正):
さてこそ、遂には審かれねばならぬ幾百萬の魂と死屍とを啖ふこの女王蝙蝠の死ぬ時はないだらう。

■ 『イリュミナスィオン』 の 「魔神 Gnéie」 と『地獄での一季節』
ランボーが「魔神」で描いた、来るべきメシアは、『地獄での一季節』の中でも、「永別」の前の「朝 Matin」に語られている。このことからも、「魔神」が『地獄での一季節』の前に書かれた詩と推定できる。さらに、この「朝」は、ヴェルレーヌにピストルで撃たれる前に、『地獄での一季節』あるいは「異教徒の本」・「黒人の本」の締めくくりとして用意されていた章ではないかと推測する。
「・・・だが、今では、おれは地獄の体験談を終わらせたと信じている。あれは正に地獄だった、例の「人の子」が扉を開けた、古のあの地獄だった。
 命の「王たち」、心と魂と精神という、三人の予言者は感激しなくても、常に、変わらぬ荒れ野の中から、変わらぬ夜を望んで、おれの疲れた目はあの銀の星を見つめて、常に目覚めている。新しい労働の誕生を、新しい英知を、圧政者と悪魔の退散を、迷信の終焉を迎えに、 ― 最初の人々として! ― この世に「メシアが産まれる日」を崇めに、砂浜と山々を越えて、おれたちが行くのはいつなのか!
 天の歌、民の歩み! 奴隷どもよ、人生を呪うのは止めよう。」

翻訳・解読:門司 邦雄(Parolemerde 2001)
掲載:2017年1月20日

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