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スカボロー・フェアの聴こえる岬

 ぼくはあまり映画を見ないのだが、当時流行っている?という触れ込みで、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』を見た。字幕無しだったように覚えている。20歳前だったが、映画のスジの古臭さと上流階級志向にうんざりした。おまけにテーマ曲の「サウンド・オブ・サイレンス」も、何だか良く分らなかった。途中で小さく鳴っていた「スカボロー・フェア」に、興味を持った。「スカボロー・フェア」の「パセリ、セージ、ローズマリー & タイム」は、ローズマリー以外は聴き取れて、ハーブのことと分かったが、何を歌っているのかは分からなかった。大分後で調べて、この曲はイギリス(ヨークシャー)民謡にサイモンとガーファンクルが(ベトナム戦争)反戦の歌詞を織り交ぜた曲だと分かった。その後、映画はすっかり忘れたが、この曲だけは頭の片隅にあったようだ。

 時は流れて、やっと自分でランボーを解読することが出来るように思い始めた1996年だと思うが、市子の勤めていたトーマス・クックの日本支社から、「トーマス・クックの旅 近代ツーリズムの誕生 本城靖久著 講談社現代新書」をもらった。当時のイギリスはトーマス・クックが企画した主に鉄道を使ったパックツァーが大流行であった。その旅行企画は、当時のイギリスの労働者が食事代わりにビールを飲み、アル中になるという社会問題の対策から始まったそうだ。「イリュミナスィオン」の「歴史的な夕べ」には、「観光客」は「ツーリスト touriste 」が出てき、「旅人 voyageur 」ではない。トーマス・クックにより現在の旅行代理店のシステムが作られ、団体観光旅行がブームになったことが分かる。この詩は、書かれた内容から船を使った旅のようだが、船で郵便物を運ぶ万国郵便連合ができたのも、1874年である。

 詩人アルチュール・ランボーの最後の詩集とされている『イリュミナスィオン』に「岬 Promontoire」という詩がある。この詩は、スカボロー(スカーブロ)の町とその市(スカボロー・フェア)を描いた、あるいは下絵にしたと解読されている。そして、この詩の原稿(手書き原稿写真版)には、詩の下右に、「A. R.(イリュミナスィオン)」とある。ひょっとして、これはランボーが(彼自身の編纂では)『イリュミナスィオン』の最後に位置させた詩ではないだろううか。手書き原稿写真版は1996年に発行されているが、ぼくが手に入れたのは、もう少し後だったように覚えている。

 スカボロー・フェアはケルト民謡であり、引用した Celtic Woman はケルトの女の意味ということが分かった。ランボーの描いたケルトの地は、北方を指していることを知った。「猛々しくギリシア、スラブ、ケルトの言葉で名付けられた浜辺まで果てしなく広がる青空と緑野」(「少年時代 Ⅰ」/「イリュミナスィオン」) 元の民謡であるエルフィン・ナイトの歌詞は、亡霊の騎士がスカボローの市に行く旅人に、かつての恋人へのメッセージを語る内容になっている。旅人は「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム」と答える。「パセリ、セージ、ローズマリー & タイム」は、つまりハーブは薬草であることから、魔除けのおまじないと解釈されている。騎士のパートは男性で始まるが、途中で女性にも変わる。
「岬」の冒頭部分には「黄金の曙とざわめく宵が・・・ぼくたちの二本マストの帆船を見つける!」と書かれている。この帆船は、「七歳の詩人たち」の「voile 帆・帆船」の予感から始まった詩人ランボーという「酔っぱらった船(酔いどれ船)」の、現在(最後)の姿だろう。「ぼく」ではなく「ぼくたち」は、同じ『イリュミナスィオン』中の「運動」で箱船に乗っていた(ランボーとヴェルレーヌの)若夫婦を思い出させる。ランボーは最後の詩集『イリュミナスィオン』も、『地獄での一季節(地獄の季節)』がヴェルレーヌ(魔王サタン)に宛てられたように、ヴェルレーヌ(悪魔博士)に託したのではないだろうか。

 スカボローの市(フェア)は、8月15日から45日間で、ランボーの時代にも盛大に行われていた。市というより、お祭りと言った方がふさわしいと思う。当時のイギリスはトーマス・クックが企画した主に鉄道を使ったパックツァーが大流行であり、スカボローも大観光地であった。ランボーは、ロンドンでおそらくスカボロー・フェアのイリュミナスィオン(版画)の載っている旅行パンフレットを見ることができたろうし、スカボロー・フェアーの元歌の民謡、エルフィン・ナイト(Elfin knight : 妖精の騎士=亡霊の騎士)を聴いたかもしれない。

 すでに詩を捨てつつあったランボーは、この民謡に、かつての恋人であった詩人ヴェルレーヌへのメッセージを聴いたように思える。「韻もふまず言葉も使わない詩が編めたら、君は、ぼくのほんとうに愛する人」と。

以下は
・スカボロフェア by サイモン&ガーファンクル(YouTube)
・Scarborough Fair by Celtic Woman(ケルトの女)(YouTube)
・Scarborough Fair by Amy Nuttall(YouTube)です。

参考資料

「スカボローフェア」解釈

補足
1874年7月、ランボーの母と妹ヴィタリーが、すでに求職中のランボーを訪ねてロンドンに来る。この時の詳細は、ヴィタリーの日記に残されている。ふたりは7月末にロンドンを後にする。ランボーは仕事でスカボローに行き、そこで「岬」を書いたという説もある。ランボーの求職広告は1874年11月の「タイムズ」に掲載された。しかし、スカボローの市と時間的に辻褄が合わないので、むしろ、当時の絵入りパンフレットからスカボローの情景を描写したのではないかと、ぼくは考えている。

Parolemerde2001
2015年12月4日、2020年8月12日更新

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