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「光と鬼」横須賀巧光(よこすか・のりあき)写真展 20051207掲載

銀座ニコンサロンでの個展「IN BODY」の会場で
荒木経惟氏と談笑する横須賀巧光氏
(撮影:門司邦雄 1978年)

私の写真の先生であった横須賀巧光氏の遺作展が恵比寿の東京都写真美術館で開催されている。先生と言っても、東松照明氏主催の寺子屋式(と謳っていた)ワークショップで1年間、週1回の授業を受けただけである。しかし、その授業の中で、撮影とライティングに対する基本的な技能を学んだと思う。 

タイトル「光と鬼」は、本人が付けたのだろうか。写真展を見た感想は、「光と闇」であった。ランボーは「おれは、沈黙を、夜を書いた。」と宣言したが、ここにあるのは圧倒的な「闇」だった。彼は、闇を、死を写したのだろうか。かってパルコの踊り場に飾られた泳ぐ女性の写真では、圧倒的な閃光が闇の中に肉体を現像していた。それは閃光弾で浮かんだ破壊された都市の血まみれの肉体のようなものかも知れない。横須賀さんのコマーシャルの仕事を広く見たわけではないが、その中に閃光が闇の中の女性を浮かび上がらせる手法があったように思う。比較的若い時の写真集「射」は、文字通り光を表すタイトルなのだが、ここにも同じようにコンクリートの壁にジャンプする男の肉体があった。しかし、彼の輝かしいコマーシャル画像が閃光(ストロボ)により浮かび上がったように、ここにある多くの画像は、光は闇に侵食され、その支配下になるように見える。光線は乱反射し、拡散し、減衰し、物を描き認識させる。光の減衰の後には闇が残される。この彼方には、最後に、鬼、あるいは仏が闇の中から浮かび上がるのかも知れないが、それは、閃光によってではなく、作者のおぼろげな意識の光の中だろう。

銀座ニコンサロンでの個展「IN BODY」のDM(1978年)

招待状に同封されていたプリント(1978年)

横須賀さんの学生時代の作品は、圧倒的な黒、あるいは白のプリントだったと聞いたことがあるが、実物を見たことはない。圧倒的な闇と光が、この頃から彼の意識の中に存在していたのであろうか。モノクロの写真の画像の多くは、白から黒のグラデーションで形成される。それは、光のエネルギーを閉じ込めたネガのネガである。光のエネルギーがそのまま定着したものは、感光した黒い銀粒子でありネガである。これを再度反転してプリントが作られる。白は実は無であり、黒い闇が実在である。もはや光の再現ではなく、闇の再現である。さらに、ここにある多数のカラーのソラリゼーションの作品は、カラーの中の光を消している。マン・レイの影響を受けたことが履歴に書かれていて、始めて知った。マン・レイのソラリゼーションが彼の名のとおり光を浮かび出させる手法なのに対し、横須賀さんがここで使ったソラリゼーションは、光を消すための手法なのだ。横須賀さんがデジタル写真を嫌っていたということを彼に身近な人から聞いた。デジタルは光のエネルギーを情報に変える、アナログは銀粒子の物質に変える、その違いだろうか。

闇の中に静物が置かれた写真があった。人の視像では、自動的に最も明るいところが白と認識されるのだが、この写真は人の光の認識を否定しているのだろうか、それとも、闇を表しているのだろうか。被写体は闇に溶けて行き、無に帰すのだろうか。そもそも被写体は存在しているのだろうか。圧倒的な闇を顕在させることが、彼の作品だったのだろうか。「ホライゾン」と題された彼の個展の草原に馬が遊び白い雲が湧く写真を思い出す。その写真が暗かったからだ。光の中に雲が浮かぶのではなく、光景そのものが太陽写真のように光を失っていたように見えた。当時は理解できなかったあの写真展全体の奇妙な印象は、あるいは「闇」というキーワードが当時の私には見えなかったからではないかと思われてくる。
コマーシャルの光と写真の闇、暗い中に画像が点在する展示会場。展示会場も、やはり闇の空間にわずかな光が漂っている。被写体となったオブジェも闇の中に暗く潜んでいる。闇の画像は、見られることを拒否している。若くして光の旗手となった横須賀さんの意識の中まで、私は知らない。この圧倒的な闇の物語も知らない。『太陽はひとつ、ライティングは引き算』という彼の言葉は、実はより多くの「闇」を作り出す技法だったのだ。ここには、光が偽の立体の画像を形成する写真は無い。『写真は肉体(フィジカル)である』のか、初期のヌード作品さえも、肉体から物体に変わりつつあるように見える。肉体は写真の上で物体になり切れず画像になり、画像は闇に溶けて行く。それは人から生命を引くと物体にはならず、死体となることと似ている。「光と鬼」は「闇と死」となる。
『どんなにバタ臭く見えても、日本的なタテとヨコの構図の世界からは自由になれない』横須賀さんは、日本的な「小夜子」を撮り続けた。恐らく日本発の最初の世界的モデルとなった「小夜子」、にもかかわらず潜在的に潜んでいる東アジアの京劇のイメージを見てしまう。桜の危うさは日本の文化の特性であったかも知れない。仮面の裏には、鬼がいるのだろうか。彼にとって仏像の写真は仮面を捨てた日本なのだろうか。答えは画像なのだろう。横須賀さんの個人的な作品を見る機会はとても少なかった。ワークショップ以降は数回しか会っていないし、特に最近は会うことも、作品を見ることも無かった。突然、闇の中に出現した作品も、見覚えの無いものが半数に近かった。ワークショップ以降のぼやけた疑問の答えがここにあるとしても、この闇は理解不能なのだ。この会場自体も闇の作品かも知れないが、闇が理解され認識されることの拒否ではなく、写真家の真摯な追求の軌跡が見えるように明るい平面に年代順に並べられた写真を見てみたいと思った。横須賀さんの写真に映し出された『屈折』と『生き様』も、社会・環境・時代も、もう少し映し出して欲しかった。彼自身にも、もっと語って欲しかった。だが、もし、この写真展が横須賀さんの遺志を実現したものであるのなら、コマーシャル写真家横須賀氏は、自身を闇の中に置きたかったのだろう。


注)横須賀巧光の写真魔術「光と鬼」 
東京都写真美術館 2005年11月19日(土)~12月18日(日)
『 』は、横須賀氏のワークショップ時代の言葉として私が記憶しているものです。

2005年12月7日
門司 邦雄

2006年11月16日写真追加

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