Blog - 政治的

社会構造的脆弱性 1 序+天皇陛下万歳 20130517掲載

        ・・・君、君の計算と、

― 君、君の苛立ちは ― 固定されても、全く強いられてもいない、

君たちの踊りと君たちの歌声にすぎない、とはいえ

発明と成功の二重の出来事 + ある理由だが、

― 心象の無い宇宙における友愛に満ちた慎み深い

人類には、 ― 権力と法律が今ようやく評価された

踊りと歌声を反射している。

         アルチュール・ランボー「青春時代 Ⅱ」/『イリュミナスィオン』

 2013年5月16日の(現地15日)のfrance2では、フランス共和国がリセッションに入ったことを放映していた。だだっ広いセールス会場には、安売りの衣服が海のように広がっていた。リセッション(デフレ)も、ビルの倒壊も、食品汚染も、自然災害も、様々な国々で起こっている。原発事故も放射能汚染も、フクシマだけではない。だが、フクシマ以降、日本は急速に変わりつつあるように見えるし、極めて卑近な問題でもあるので、社会構造的脆弱性と日本語的思考を考察してみたい。おそらく日本語の構造と日本の政治・行政は、その特性において関係があるだろう。法律は文字で綴られる。他方、日本国民の思考の基盤には、水田耕作が長らく主要産業だった社会から来ている要素が多いと思われる。

 フクシマは事故後の政府(政治・行政・司法)とメガメディアの対応が悪く、嘘に嘘を重ねている。東電の補償責任についても追求されていない。食品の検査も、本来ならば政府系の調査機関が行うべき事を、個人・有志の団体が行っている。

安倍内閣が発足して原発はやみ雲に再稼働に向けて進みそうだったが、ここに来て進めたい勢力と、抑制したい勢力が、抗っているように見える。フクシマの汚染水の海への垂れ流しは先送り、プルトニュウム関連施設、六ケ所村(青森県)ともんじゅ(福井県敦賀市)は休止。原発再開を抑制したい勢力の背後には、民主党オバマ大統領のアメリカがいるのかも知れない。

 原発も、何故、危険度が高く事故が置きやすい設計・建設が為されたのかは、あまり追及・報道されていない。笹子トンネル事故に関しても、同じような感想をいだいた。あの重苦しい天井の鉄板はなぜ付けたのだろう、疑問である。同様の構造の恵那山トンネルも鉄板を取外し、ジェットファンを付けることになった(2013年)。政府の諮問機関の学者が、民営化により経営効率が優先され管理不充分になったからだという論を展開していたが、事故の起きやすい設計がされた時点まで遡る必要があると思った。つまり行政・設計業者・施工業者の問題がまずあり、責任追及に関しては、法律とメディアの世論形成も含め、結局は言葉(言語構造)の問題もあると思う。

ぼくはフクシマに見られる脆弱性は戦後に生まれたとは考えていない。戦前からあり、おそらくは明治維新とともに生まれた。日本の官僚システムは明治から始まった。それ以前、つまり江戸時代は武士が官僚であったが、システムが異なるので連続して考えることは難しい。官僚システムによる支配構造は、日本では皇室の起源にまで歴史を遡ってしまうと思うが、今ここでは展開しない。震災とフクシマを敗戦に例える記事をよく見かけた。しかし、「国破れて山河あり」ではなく「国被災して、放射能あり」が現実だと思う。太平洋戦争の敗因を再認識することと、原発事故の原因・対応不能の原因を調べることが、今の日本に必要になったと思っている。脆弱性は、今、新しいステージに立ちつつあると思う。

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 ぼくが小学校に上がる頃まで、子供のぼくにははっきりとした認識はなかったが、周りにはまだ戦争の恐怖感が残っていたように思う。人通りの多い町角には傷痍軍人がいたし、近くの外堀には防空壕の穴が残っていた。遊びに行った近所の友だちの家では、中国に出征して引き上げてきたお父さんがブリキ缶にたくさん入っていた写真を見せてくれた。日本兵に刀で切られた中国民間人の首が宙に舞っている写真を今でもはっきり覚えている。

靖国神社は家から歩いて10分ほどだった。小学校生になった頃、戦争で死んだ兵隊さんの御霊(みたま)を祀ってあると教えられた。今ではひらがな表記になってしまった御霊祭りのときには、家から花火が見え、金魚すくいや水ヨーヨーや海鬼灯の屋台が並び、お化け屋敷も立ち、ときにサーカステントも張られた。近所の子供たち、浴衣を着た同級生の女の子も来て賑わった。大村益次郎銅像のところでは、スピーカーから流れる東京音頭を踊る輪があった。拝殿の右手にあった能舞台の傍では、東京裁判の映画を白い布幕に映していた。芸能人が絵を描いた行灯がたくさん吊り下げられていた。御霊が戻って来たくなるような楽しく哀しい祭りだった。20年以上前に久し振りに観に行った。人はとても増え、ゴミも山盛りで、もの哀しさは消えていたが、祭りそのものは思ったほど変わっていなかった。

当時、御霊祭りの時以外、靖国神社はとても静かだった。中学時代に拝殿に向かって右手にあった靖国会館2階が宝物遺品館となった。宝物遺品館の遺品は、現在は遊就館に収められているそうだが、ぼくが知っているのは遊就館ではなく占領下に富国生命となった建物である。遊就館は、ぼくが千代田区を離れてから再建されたので、観に行ったことはない。宝物遺品館には、日本兵の遺品と装備・兵器などが飾ってあった。学校が休みの時などに友だちと時々訪れた。夏休みは館内は静かでひんやりしていて、観に来る人もほとんどいなかった。人のいない館内に展示されているすでに薄茶色に褪せていたくさんの手紙にも、日の丸の寄せ書きにも、やるせない虚しさだけが漂っていた。太平洋戦争で戦死された人々を英霊として祀ることは、死という事実が消えるわけではない。消えるのは生き残り利益を得た人々の後ろめたさでしかないと思った。当時、ベトナム戦争があり、戦争の現実を身近に感じられた面もあったように思い出す。

 閣僚の靖国神社参拝が中国・韓国の反感を煽っている。敢えて煽っているのかも知れない。アーリントン墓地と同様に考えて当然の権利との主張も目にしたが、日本は敗戦国であり、残念ながら外部からは同一条件とはみなされないだろう。外交カードだけでなく国内向けのポーズにも使われているように見える。ぼくは、中学までは千代田区立、高校は都立の学校だった。学校ですぐ近くの靖国神社に参拝に行ったことはない。ぼくたちが学校で慰霊に行ったのは千鳥ケ淵戦没者墓苑だった。ここは法的には墓地ではないという問題があるが、ぼくは詳しいことは分らない。宗教性は無く、政教分離の原則に反しないとされている。一方、靖国神社は神社であり墓地ではない。しばしば比較されるアーリントン墓地は、墓地だ。神道は日本の土着の宗教だが、国教ではない。もし、首相として参拝するのであれば、御霊祭りあるいは終戦記念日ではないのだろうか。言い訳を用意し、曖昧にぼかし、代役を使って参拝することが、日本にとって良いこととは思えない。安倍総理も橋下市長も、国内的タレントなら注目度が上がって良いのだろうが、政治家ではもっと国内外への影響も計算する必要があると思う。いや、彼らのことだから、それなりに計算してはいるのだろうが。

 国内外で言葉を使い分けるのは、外交では当たり前のことだが、現代は表の発言はすべてすぐに世界に筒抜けで、むしろ海外のネット情報などから逆に知ることもあるくらいだ。余談だが、安倍総理は初めに国際電話した時に、オバマ大統領をブッシュ元大統領と間違えたそうだ。日本は2大政党制にならない・なれない国だから感覚的には理解できないだろうが、アメリカは政党支持で家庭内でも激論になる社会、このことはオバマ大統領の心象を害し、彼は感情抑制の効いた新しいタイプの大統領のようだが、やはり日本にとってはマイナスを作ったと思う。しかし、これを書いた記事を見かけない。

 主権回復の日(サンフランシスコ講和条約発効)に「天皇陛下万歳」という声が上がったと報道されている。ぼくはその記事を見て安易だなと不快感を持った。このことは、海外でも報道されている。大東亜戦争(太平洋戦争、第2次世界大戦)の戦争責任を問われたのは昭和天皇である。その負の遺産を、天皇を継ぐ者として継承し、日本だけでなく世界平和のために生きぬいてこられた平成天皇の功績をむしろ汚すとも受け取られるかも知れないし、天皇制の政治的利用とも考えられる、 ― このことが、冷静に理解できていないのか、あるいは、当日のプログラムに載せない(中韓の反感を煽るための)集団的自発的故意なのか。16日付のネット新聞の記事にも、特攻(特別攻撃)に散った伊舍堂用久中佐を讃える記事が出ていた。日本はいずれ自力で自分の国を守らなくてはならないようになると、ぼくも考えているが、資源・食料を海外に依存する貿易立国の国として、冷静な状況分析の必要があると思う。アベノミクスの方向性からは、大英帝国のように資本立国を目指すようには見えないというか、そのような視野がない。

情報が瞬時に国際化する現代では、国内には本音で構わないという政治認識は、長い目で見ると国益を損ない、世界には通用しないように思える。オバマ大統領のアメリカを見れば分るように、したたかに計算された建前を外交的に演出する時代になったと思う。

あの「天皇陛下万歳」という言葉で、今のぼくが思い出すのは、アメリカ軍に多大の犠牲を強いた映画にもなった硫黄島(ぼくが子供の頃はイオウトウ)の戦いである。名指揮官栗林忠道中将(最終階級は陸軍大将、準四位)は「万歳突撃」と「自決」を禁止したそうである。それらは敵に利する自殺行為でしかない。「天皇陛下万歳」を、あまたの犠牲者を生んだ後ろ暗い言葉に変えたのは、誰なのか。犠牲者は、慰安婦同様、みんな自発的で、フランス語ではヴォロンテール=志願兵、英語ではボランティアということになるらしい。確かに、伊舍堂用久中佐のように自ら望んだ優秀な愛国軍人も存在した。しかし、誰もがそうなる・なれる訳ではない。

かつて日本でも流行したインテリゲンチャ的左翼的社会参加の理論とされた「実存主義」でも、人の最終意思決定は、各実存による自由意志とされた。だが、意思決定は社会的である言語によって為されるのだから、やがて「構造主義」に代わられた。社会が選択肢を絞り、世論・メディア・風潮・周囲の眼も選択を強制したことは、最近よく目にする、言い訳がましい「あの時代は・・・だった」という弁解の理論から消えている。

Parolemerde2001
2013年5月17日

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