Blog - ランボー的

五月の軍旗

いつも、五月になると決まって思い出す詩。しかも、今年は、黄色いベスト運動も起っている。
ぼくらの若い時は、フランスでも五月危機があり、ランボーの名前が壁に書かれたりしたのだが・・・
ランボーの書いている処にどうすればいかに近づけるか、それを求めて、再考してみた。背景の解読は、ここを参照されたい。
翻訳・解読(解読はスクロールすると、小さな字で出てきます)
http://rimbaud.kuniomonji.com/jp/derniers/fetes_de_la_patience_jp.html#bannieres_de_mai
フランス語テキスト(詩はスクロールすると、出てきます)
http://abardel.free.fr/tout_rimbaud/manuscrits_richepin.htm#bannieres_de_mai

最初の二行について、少し書いて置く。
始めの行の光景は、木の芽が出て来た枝が、光を受けて透き通って見える(クリアー)様子だろう。次の行は、その枝々に、病的な勝鬨が消えて行く(死んで行く)と書かれる。勝鬨と訳した halllali は、あららららという獲物を追い詰めた時に挙げる合図・勝鬨・角笛等を言う。ぼくは、ここにパリ・コミューンの最期を見る。1871年5月28日のことである。少し前に France 2 で、 フランスの上流階級の人が、趣味の猟のために昔ながらに猟犬を飼っているのだが、100匹程だろうか、その数にびっくりした。 

Parolemerde2001
2019年5月16日

-----------

五月の軍旗

         アルチュール・ランボー

菩提樹の、輝く若葉に
病的な勝鬨が死んでゆく。
だが、精神のシャンソンは
スグリの実の間を旗めく。
我らが血よ、血管中で笑ってくれ、
そら、ブドウの蔓も絡み合う。
空は天使のように清らかだ
青空と波は、心を通わす。
さあ、行くぞ。もしも、光がぼくを傷つけたら
苔の上で死んでやる。

みんな、辛抱して、うんざりして
それは、たやすいことさ。苦労なんか糞食らえ。
ドラマチックな夏の、幸運の車輪に、
ぼくは縛り付けられたいのだ。
おまえにしっかり抱かれて、おお、自然よ、
― 少しは孤独でもなく虚しくもなく ! ― ぼくは死ぬんだ。
だが、おかしなことに、「羊飼いたち」は、
世間の手に落ち、死ぬばかり。

季節が、ぼくをすり減らして欲しいんだ。
自然よ、おまえの下に、ぼくは帰る。
飢えと、すべての渇きも、一緒だ。
だから、お願いだ、食わせてくれ、飲ませてくれ。
ぼくに、迷わせるものは、何もない、
太陽に笑うことは、両親に笑うことだ、
だが、このぼくは、誰にも笑いたくない、
そして、自由とは、この不運のことなんだ。 

                    1872年5月

翻訳:門司 邦雄(Parolemerde 2001)
掲載:2019年5月15日

index  次 ▶

© KunioMonji.com - 利用規約 - プライバシーポリシー