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Blog - 文化的

スカボロー・フェアの聴こえる岬 20151204掲載

 ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』は、ぼくが20歳になる少し前だった。ガールフレンドに誘われて『卒業』を観に行ったのだが、アングロサクソン風にはマッチョでもイケメンでもないダスティンの人気に当時のアメリカを感じた。ダスティな奴が良いのだ、とか、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」は詰まらない、むしろ「スカボロー・フェア Scarborough Fair」が良いとか、嫌みな感想をあれこれ述べて、ひたすら雰囲気を盛り下げてしまった。「スカボロー・フェア」の「パセリ、セージ、ローズマリー & タイム」は、ローズマリー以外は聴き取れて、ハーブのことと分かったが、何を歌っているのかは分からなかった。後で調べて、この曲はイギリス(ヨークシャー)民謡にサイモンとガーファンクルが(ベトナム戦争)反戦の歌詞を織り交ぜた曲だと分かった。その後、映画はすっかり忘れたが、この曲だけは時おり思いだすことがあった。

 詩人アルチュール・ランボーの今では最後の詩集とされている『イリュミナスィオン』に「岬 Promontoire」という詩がある。この詩は、スカボロー(スカーブロ)の町とその市(スカボロー・フェア)を描いた、あるいは下絵にしたと解読されている。そして、この詩の原稿(手書き原稿写真版)には、詩の下右に、「A. R.(イリュミナスィオン)」とある。ひょっとして、これはランボーが(彼自身の編纂では)『イリュミナスィオン』の最後に位置させた詩ではないだろううか。
 「岬」の冒頭部分には「黄金の曙とざわめく宵が・・・ぼくたちの二本マストの帆船を見つける!」と書かれている。この帆船は、「七歳の詩人たち」の「voile 帆・帆船」の予感から始まった詩人ランボーという「酔っぱらった船(酔いどれ船)」の、現在(その時)の姿だろう。
「ぼく」ではなく「ぼくたち」は、同じ『イリュミナスィオン』中の「運動」で箱船に乗っていた(ランボーとヴェルレーヌの)若夫婦を思い出させる。ランボーは最後の詩集『イリュミナスィオン』も、『地獄での一季節(地獄の季節)』がヴェルレーヌ(魔王サタン)に宛てられたように、ヴェルレーヌ(悪魔博士)に託したのではないだろうか。
 スカボローの市(フェア)は、8月15日から45日間で、ランボーの時代にも盛大に行われていた。市というより、お祭りと言った方がふさわしいと思う。当時のイギリスはトーマス・クックが企画した主に鉄道を使ったパックツァーが大流行であり、スカボローも大観光地であった。その旅行企画は、当時のイギリスの労働者が食事代わりにビールを飲み、アル中になるという社会問題の対策から始まったそうだ。ランボーは、ロンドンでおそらくスカボロー・フェアのイリュミナスィオン(版画)の載っている旅行パンフレットを見ることができたろうし、スカボロー・フェアーの元歌の民謡、エルフィン・ナイト(Elfin knight : 妖精の騎士=亡霊の騎士)を聴いたかもしれない。
 エルフィン・ナイトの歌詞は、亡霊の騎士がスカボローの市に行く旅人に、かつての恋人へのメッセージを語る内容になっている。旅人は「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム」と答える。「パセリ、セージ、ローズマリー & タイム」は、つまりハーブは薬草であることから、魔除けのおまじないと解釈されている。騎士のパートは男性で始まるが、途中で女性にも変わる。すでに詩を捨てつつあったランボーは、この民謡に、かつての恋人であった詩人ヴェルレーヌへのメッセージを聴いたように思える。「韻もふまず言葉も使わない詩が編めたら、君は、ぼくのほんとうに愛する人」と。

スカボロフェア by サイモン&ガーファンクル

Scarborough Fair by Celtic Woman(ケルトの女)

Scarborough Fair by Amy Nuttall

参考資料
「スカボローフェア」解釈

補足
1874年7月、ランボーの母と妹ヴィタリーが、すでに求職中のランボーを訪ねてロンドンに来る。この時の詳細は、ヴィタリーの日記に残されている。ふたりは7月末にロンドンを後にする。ランボーは仕事でスカボローに行き、そこで「岬」を書いたという説もある。ランボーの求職広告は1874年11月の「タイムズ」に掲載された。しかし、スカボローの市と時間的に辻褄が合わないので、むしろ、当時の絵入りパンフレットからスカボローの情景を描写したのではないかと、ぼくは考えている。

2015年12月4日、Parolemerde2001

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